音楽とオーディオの思い出
子供時代は音楽に興味無く、プラモデルとスロットカーに夢中でした。クラシック音楽を聴くようになったのは日本フィルの解散問題で、少しでも演奏家を助けようと日本フィルのコンサートに行ったのが始まりです。伴 有雄指揮ブラームスの交響曲2番と4番でしたが、2番にはとても感動しました。それからクラシック音楽を聴くようになり、高校時代は東京文化会館でやる都響の定期演奏会によく行きました。学割がつかえ2階以上の席でしたが、当日券300円でした。文化会館は2~3階の方が良い響きで、渡邉 曉雄のシベリウスとか良かったですよ。音楽雑誌はレコード芸術が有名ですが、ステレオ芸術(ラジオ技術社出版の本)を読んでいました。表紙レコードプレゼントに当選したり、投稿したら掲載されて本が送られてきた事があります。ステレオ芸術は指揮者の早川の演奏評と、田辺 四郎のタナベシステムの話に興味がありました。その頃、バロック音楽が好きになりました。ベートーヴェン第九のアマチュア・コーラスに参加したのは楽しい思い出です。一言「ベートーヴェンは天才です。」
亡くなった父は音楽に興味が無かったですが、 家にはAM第一と第二でステレオ放送が聴ける団地用ステレオが有りました。三菱電機製で6BQ5、SPはダイヤトーンのP610でした。父は安いクラシックカメラを集めるのと銀板写真(!)が一番の趣味でした。銀板写真の技術を復活させた事でテレビに出たことがあります。カメラは100台ほどあり、家は足の踏み場の無い状態でした(そのためオーディオマニアの家に行って散らかっているので驚いた事はありません(^O^))。父はよく電波科学を読んで白黒テレビの修理(趣味ですが)をやっていました。そのため家にはハンダゴテ等の道具は有りました。また、変わった電気器具を買ってくるのが好きで、ワイヤーテープレコーダー(テープでは無く、針金に録音します。)やリオン社のソノシート録音機(ソノシートカッティングマシーンですね。)が有りました。そういえば、庭の物置に戦争で使用した軍用犬の落下傘が昔ありました。ステレオは7~8年使用したのですが、音がおかしくなり裏から覗いたら、スピーカーのウレタンエッジが無いのです。市販品を買わないでスピーカーボックスを作れば安くできる(今、考えると間違ってましたね)と考えたのが、オーディオの第一歩でした。ナショナルのゲンコツを買ってきたのですが、高音が寂しいのでフォスターのツィーターを足し、次にコーラルのウーハーを足し、次にフォスターのスーパーウーハーを足し4Wayを作ったのです。しかし、電気知識が無いのでバランスが難しく、失敗し轟沈しました。その後、スピーカーは市販品のケンウッドを購入して聴いていましたがきつい音でしたね。そういえば高校の校長が高城 重躬氏でしたが、氏が設計した音楽室のスピーカーを聞いた事があります。 ラジオ技術の小塩 玄也氏の御宅に伺った事も懐かしい思い出です。
我孫子オーディオクラブに入会して一年たちます。オーディオは電気に詳しくないと楽しめない趣味と思うかもしれません。 しかし、 クラブの例会は各自が好きな音楽をみんなで聴く楽しい会です。 音楽の好きな方は一度参加してみる事を薦めます。音楽の新しい発見があるかもしれません。AAFC入会後、数名の会員の御宅を訪問しましたが、どの方も素晴らしい音で自作の苦労話を聞くのは楽しかったです。私の好きな言葉、音は人なりです。現在、マンションで大きな音は出せず自作は中止ですが、定年後はのんびり自作を楽しもうと思っています。次は横田 一郎さんです。よろしくお願いします。
以上